大学・学校づくり研究科 第7回定例研究会

「教授会自治に代わる大学運営のあり方について」

森川 章 氏

平成21年5月16日



 本報告では、大学運営のあり方に関する日米比較を通じて、日本の大学運営について考えてみたい。ただし、一般的な比較は難しいので個別の事例を通じて検討してみたい。具体的には、名城大学とコロラド州立大学の事例を比較する。

 日本の大学運営の多くは、教授会自治で行われている。これは、教育・研究・学内行政の基本機能を教授会が担うことを意味している。このため、大学教員の多くが、教育・研究以外の時間に資源を投入している。アメリカと比較すると教員の研究時間が圧倒的に少なく、特に自然科学の研究者にとっては深刻な問題であろう。だからといって、教授会自治を放棄するだけでは、問題は解決しない。実際に、教授会自治をやめた大学を見ると、うまくいているケースはほとんどなく、単純に教授会自治を放棄するという議論は論外である。

 多くの私立大学では、教学サイドと経営サイドが相対する形で配置されている。そして、そこにおける事務職員の位置づけは、大学によって教学サイドによるタイプと経営サイドによるタイプがあると思われる。名城大学では、以前は、教学サイドに沿う形で事務職員が位置していたが、現在のセンター方式になってからは、経営サイドによる形になったと考えられる。具体的には、学部事務があった当時は、庶務以外に教務などがあり、学部と密接に関連しながら運営できていた。現在は、各学部には庶務系の職員として3人程度が配置されているだけであり、、掲示物の貼り付けにも教員が走り回る現状である。

 教授会が行う活動を、3つの面から見てみる。教育では、入試、カリキュラム編成、授業・テスト・評価に加え、かつては運動部・文化部の指導や、学生自治会のある学部では自治会の指導など、課外活動指導も行っていた。70年代は、学生運動が盛んで自治会対応にかなりの時間を要し、教務委員と学生委員は激務といわれていた。現在は学生委員の職務は激務とは言えず、それに変えて、入試の業務が激務になっている。かつては、1回の入試の実施のみを担当していたが、現在は推薦を含めて年に何度も行っている。また、問題の作成から採点までほとんど全員の教員を動員して行わなければならない現状である。具体的には、夏休みまでに問題を作り終えている必要があり、問題作成自体に10日、問題を持ち寄って、お互いの問題をすりあわせる調整に3〜4日掛けている。調整は、ミスを防ぐために綿密に行う必要があり、相当の時間を要している。その他、監督、採点を行い、評価を教授会で行う。総計で2週間以上の時間をフルで割いている。これを各大学・各学部で行っているのが現状である。

 一方、アメリカでは入試に教員がノータッチである。これは、アメリカの大学で共通である。アメリカは、全国共通で行う統一試験が2回あり、統一入試で一定得点以上の学生を受け入れるため、事務的に進めることが可能であるためだ。大学院は別として、教員が学部の入試問題をつくることはまずない。また、カリキュラムは、学部長が任命する少数の委員が担当する。教員は春学期が終わると、2〜3ヶ月の休みに入る。その間の給料は出ないが、逆にその間を完全に自由に使えることになる。その他、一般教員の責務としては、教育は当然としているが、TAをかなり使っているため、学部の授業負担は見かけ以上に重くない。ただし、大学院で1コマ持つことは学部4コマ分くらい持つほどのロードになる。また、研究は個人裁量であることは日本と変わらないが、TAの給料、院生の奨学金、実験のための機器・資源は自分で調達しなければならない。

 こうした日米の違いを語る上で、アメリカは第三者評価が確立している点が重要である。大学の予算については、州議会は予算を承認するかしないかだけを判定する役割を担っており、研究プロジェクトのような時限予算については、その是非や継続か否かを住民投票で決めるようであり、大学のあり方に市民の参加があるという点は注目に値する。また、アメリカでは学部長の権限が大きく、任期中はオールマイティの権限を持つ存在である一方、おかしなことをすれば選挙で落ちるという監視機能がある。

 日本の教員の研究時間は圧倒的に少ない。 大学の教員は研究も重要な職務であり、学内行政体制を変えるだけでかなり変わるのではないか。特に、学内行政を、全員参加の教授会で全て行うのは考え直す余地がある。アメリカは、教授会自治がなくてもおかしなことにならないのは、第三者評価が根付いていることと、学部長の選挙があるためだ。

»一つ前へ戻る