大学・学校づくり研究科 第21回定例研究会

「地方分権改革と首長、教育委員会の協働関係 ~高浜市を事例に」

中村 康生 氏
(名城大学)

平成22年10月16日


 本報告では、首長と教育委員会の協働関係について、高浜市の事例にもとづいて考えてみたい。

 教育行政は、一般行政とは独立した形で行われている。しかしながら、それゆえのジレンマもある。地域と密着した教育が求められる中で、現在の体制は十分か否かを検討したい。地方分権と教育行政の関係においては、1980年代後半から90年代初頭における、中央集権体制が政治腐敗の温床となっているとの問題が大きくなり、93年に地方分権推進が決議され、99年の地方分権一括法成立へと至ったことに注目が必要である。この中で、地方の教育行政のあり方が示されることとなったためである。教育行政については、地方分権推進委員会「くらしづくり」部会で論議された。教育のみでなく、くらしの問題として扱われた点が注目に値する。この中で、教育長の任命承認制は、教育行政の中央集権の象徴的な制度であり、ぜひ廃止をすべきとの議論がなされた。こうした議論を経て、成立した地方分権一括法では、機関委任事務制度を廃止するに至った。教育長の任命承認制は廃止され、文部大臣の都道府県への指揮監督も廃止された。しかし、これにより、全国市長会から、教育行政も首長直轄ですべきという意見が出されるなど、波紋も広がった。これは、換言すれば教育委員会不要論であり、地域づくりのために教育行政と他の行政分野の連携を密にすべきという主張の下、激しい議論が進められた。

 こうした中で、高浜市の森市長の取り組にが興味深い。森市長は、89年から09年まで5期20年を務め、護送船団の後ろを進む行政と決別したオンリーワン政策で注目を集めた。高浜市は、全国平均で見れば良好な財政状態であるが、高浜市周辺には、財政状態が突出して良い市に囲まれており、その中でオンリーワン政策を掲げたことは、埋没を恐れ、地方分権は職員力、住民力を高める絶好の機会としてとらえていた事を示している。森市長は、教育委員会への対応でもリーダーシップを発揮した。歴代教育長は校長出身者が占め、文科省、県教委、市教委の縦割り行政の中、教員組織の学閥支配構造があった。その中で、99年に行政職出身の教育長を登用して教育委員会との摩擦を作り出し、さらに、民間出身校長の登用を提案した。当時は、その提案は否決されるが、その後の、鈴木教育委員長、岸本教育長の新体制につながることになる。

 2002年に高浜市は、教育委員会を学校教育に特化させ、子育て支援、生涯学習分野は市長部局で一元化・事業展開した。また、2003年には市一斉に学校評価制度を愛知県で初めてスタートさせた。この中で、学校経営に生きる学校評価を作り出してきた。たとえば、学校評価資料を公表し、校内に残る曖昧さを減らす、校長には学校評価を教職員を生き生きさせるための手段として活用するリーダーシップが必要であるというものである。こうした改善を経て、教育指導費は02年と09年では3.3倍となる中、事務局費は企画立案のコアの仕事以外を外注化し、0.5倍という改革成果につながった。

 高浜市の取り組みからは、総合行政の一貫としての教育行政の重要性、市長部局と教育委員会の対等な協働関係の重要性が伺われる。特に、政治的な協働関係とならないよう、双方が民意を的確に把握する努力が重要である。

»一つ前へ戻る